2015/10/18

うつ病の家族との生活~治療からその後

 

この記事を書いている人 - WRITER -
こっしー
こっしー 働く40代2人の子持ち主婦。ライターとしてはひよっこですが、フラワーアレンジメントは プロ級?です。(歴15年)今はガーデニングもやります♡

こんにちは。40代子持ち主婦、こっしーです。

 

夫がうつになったお話の後編です。

治療開始からをご紹介しようと思います。

 

先に前編の「夫がうつと診断されたとき」をお読みくださいね。

 

家族としてできること

 

家族が「うつ」だとわかった時、同居の他の家族ができること。

 

それは、うつ病を理解し、うつ病患者を支えることです。

 

先生にうつ病に対する勉強をするように言われた私は、

買ったうつの本を最初から最後まで熟読しました。

 

そして、家族としてできることはまず、

夫を自殺させないことだと思いました。

 

うつ病にかかった人って、

必ず「自分はいない方がいいのではないか」と考えます。

 

だから休職してすぐ、私は夫に改めて言いました。

 

 

「あなたには妻と娘がいるんだから、これだけは言わせて。

 

仕事が気にかかるかもしれないけど、

しばらく仕事のことは考えないようにしよう。

 

認めたくないかもしれないけど、

仕事であなたの代わりはいくらでもいるよ。

 

なんとかしてくれるし、何とかしないと会社もまわっていかないからね。

 

でもね、私たち家族にとって、あなたの代わりはいないし

この子(娘)のお父さんはあなただけ。

 

本当にいなくなったら私たち悲しくて

どうしていいかわからなくなって路頭に迷っちゃう。

 

だから、この子や私を残して死のう、なんて

絶対に考えないで。約束して。

 

お願い。きっと、よくなるから。」

と、涙ながらに訴えました。

 

これは、プレッシャーなんじゃないかと思ったんですが、

家族がいて、自分が死んだら悲しむ人がいること、

自分が家族に必要とされていて孤独でないことを

再確認させることは必要なんだそうです。

 

夫は「わかった」と短く答えました。

 

そして、なにより、家族としては

「絶対治るんだ!」と信じて治療をすることも必要です。

 

時には心が折れそうになります。

 

治療が思うように進まず、つい、

治らないんじゃないかと思ってしまいます。

 

それでも治る事を信じないと。

 

うつ病の人に対する接し方で、励ましてはいけない、という事は

割と知られるようになってきました。

 

うつ病患者に対する接し方は、励ましだけでなく、

こちらからの提案も働きかけもNGです。

 

病院の先生も、そういう意味でもうつ病について勉強するように、

言ったのだと思います。

 

働きかけや提案ってどういうことか?

 

「○○したら?」とか「△△した方がいいんじゃない?」とか、そういうの。

 

ダメなんです。

 

悪気がないので、何気なく、言ってしまいそうです。

 

細心の注意をして私から働きかけることは

極力しないようにしていました。会話は必要最低限のみ。

 

あとはそっと見守る。

 

例えば、夫が起きてきても「もっと早く起きたら?」とか

「ご飯食べたら?もっと食べないと治らないよ」と言う事は×。

 

この場合は「ご飯食べる?」と聞くのみ。

 

食べると言ったら黙って何か食べ物を出し、

いらないといったら、

「あ、そう。食べたくなったら行ってね。」と言う。ただそれだけ。

 

悲しい会話です。

ただの同居人みたいです。

 

ずっと頼りにしていた夫に頼れなくなった、

しかも、話すらできないと言う事は

私にとって本当に重圧で、大きなことでした。

 

夫がうつと診断されてから、誰も頼る人がいない横浜で、

出口のない迷路に子供とともに迷い込んだようでした。

 

最初は毎日泣いていた気がします。

 

夫の前で泣くと、夫に気を遣わせてしまう。

 

自分のせいで妻が泣いているとると思い、

また「自分なんかいない方がいい」という

よからぬ思考に陥って病気が悪化しそうなので

買い物に出かける、と言っては車の中で実家に電話して、泣いていました。

 

本当に不安だらけの毎日。

 

それは私にとっての精神修行だったのかもしれません。

 

うつ病患者との生活

 

夫がうつと診断されたのは12月入ってすぐ。

 

世の中はクリスマス一色。

クリスマスが終われば、正月もやってくる。

 

町へ出るのが嫌で仕方なかった。

だってどこへ行ってもクリスマスソングが鳴り響き

クリスマスの飾りつけがしてあって、楽しそう。

 

クリスマスケーキ、クリスマスツリー、おせち・・・。

 

なのに、我が家はうつ病患者との生活。

 

クリスマスを楽しむ気になれるはずもなく、

お正月なんて、この先いつになったら祝うことができるんだろう?と思っていました。

 

幸いなのは、娘が小さくてクリスマスやお正月を理解していなかったこと。

 

娘に「どうしてうちはクリスマスをやらないの?」とか

聞かれなくてすんだのは、本当に不幸中の幸い。

 

一番不安で悲しいだけの時期にクリスマスが重なり、

人生で一番辛かった。

 

横浜に親子だけでいても辛いだけだし、

クリスマス前に帰省することにしました。

 

夫は夫の実家に行ってもらい、夫の両親に託し

私は自分の実家で休ませてもらうことにしました。

 

そうでもしないと、私まで病気になりそうでしたから。

 

実家に帰ると、両親が温かく迎えてくれて、娘の為に

クリスマスケーキを用意してくれました。

 

それを見た瞬間、それまでの1か月間のモロモロが押し寄せ、

泣き崩れてしまいました。

 

うつはうつる、と言います。

 

夫がうつと診断されてから

度重なる不安と、夫が自殺しないように常に気を遣って、

息抜きもできず、疲れていました。

 

私もうつってしまいそうでした。

 

幸い、私は自分もなってしまうのではないかと気を付けていたので、

ちょっとした変化が出た時に休むことで、何とかなりましたが、

今から思うと、綱渡りのような状態でした。

 

支える側が病んでしまっては、病気が治るどころか、

更なる負のスパイラルが加速するのみです。

 

家族も気をつけなきゃなりません。

 

うつ病患者の事だけでなく、

支える家族自身の心のケアも大事なので

家族も休むことが必要です。

 

また、治療を続けていてもなかなか結果が出ないこともあります。

 

最初のころ、夫に合う抗うつ剤になかなか出会えず、

治療効果が出ないことにイライラしていました。

 

経済的な不安、自殺するかもしれない夫、幼い子供

遅々として進まない治療。

 

本当にため息ばかりでした。

 

そして幼い娘のことも。

うつ病患者にとって、子供は吉と出るか、凶と出るか。

 

子供は癒しになると思われるかもしれませんが、

自分の子供の場合は全くそうではありません。

 

うつ病治療にとっては良くないのです。

 

子供がいると「親として何かしてやらなくては!」と言う責任感が

出てしまうからです。

 

「責任感」は心の負担となり、休めることはできないのです。

 

なるべく、子供が夫のところへ行かないようにするのですが、

一つ屋根の下に住んでいるのですから、なかなか難しいことです。

 

しかも、娘は説明しても理解できない2歳児。

 

治療を始めてすぐのころは、私も不安感が強く辛い時期だったので、

娘が無邪気なのが気に障る。

 

毎日がいっぱいいっぱいで、余裕がなく、

幼い娘にかなりつらく当たりました。

 

娘は全く覚えていないようですが、

本当にかわいそうなことをしたなぁと反省しています。

 

治療開始

 

スクリーンショット 2015-09-07 22.11.36

 

うつ病の治療は心身の不安をすべて取り去り、

ひたすら体を休めることと、

きちんと抗うつ剤を飲むことです。

 

夫は休職したばかりのころは普通に朝起きて、

一日中テレビを見ながらボーっとして一日が終わる、と言う繰り返しでした。

 

体と心を休めるってこういう事なんだろうか?

 

まだ、その頃は食欲もありましたし、

本当に病気かな?と思うときもありました。

 

でも、夫の周りは黒いよどんだ空気が取り巻いているような

どんよりとしたオーラを発していました。

 

専門書によると、重症患者は昼夜逆転の生活になると書いてありました。

 

だから、夫が普通の生活をしているのはどういうことかさっぱりわからず、

不安が増していきました。

 

でも、1か月ぐらいたつと、その専門書に書いてある通り、

朝、起きられなくなり、起きる時間がずれて昼夜逆転の生活になりました。

 

夜中はずーっと起きていて、明け方眠りにつくという生活。

 

これで、ようやく本当の意味で休めるようになったようでした。

 

毎日、夫が午後3時から4時に起きる生活になると、

私たち(私と子供)も生活の落ち着きを取り戻すことができました。

 

というのも、午前中は夫が寝ているので自殺の心配も少ない。

 

だからその時間に、存分に子供と散歩に出かけたり、

買い物に出かけることができ

徐々に私を取り戻していくことができました。

 

あと、抗うつ剤。

 

抗うつ剤をきちんと飲むようにしていかなければなりません。

 

抗うつ剤にはかなりの種類があります。

その中で体に合うものがあればよくなります。

 

どうやって体に合うものを見つけるのか。

 

それは順番に試していくしかないんです。

 

早い人では1~2か月で自分に合う抗うつ剤に出会うことができるそうです。

 

でも夫は、体に合う抗うつ剤に出会うまで長い旅でした。

 

抗うつ剤は、咳止めや解熱剤などとは違い、

効き目が出るのに2週間以上かかります。

 

一つの抗うつ剤を処方されたら、

2~3週間飲み続け、効果がなければ違う薬に変える、

という事を繰り返して体に合うものを探すのです。

 

結局、夫に合う薬に出会うまで6か月かかりました。

 

治療の効果

 

半年かけてようやく合う抗うつ剤が見つかりました。

 

そんなの、合うかどうかなんてわかるの?って思うでしょ。

 

薬を次々と変えても何の効果もなかったのに、

合う薬に出会うと明らかにほんの少しですが調子よさそうなんです。

 

それまでは、夫は午後3時過ぎに起きてきてただただ、何もせずに

ボーっとするだけ。

 

テレビ、新聞など一切のメディアや活字を受け付けませんでした。

 

それが、体に合う薬を飲むようになると少しずつ

起きる時間が早くなってきたんです。

 

午後3時だった起床時間が午後1時半になり、

昼過ぎぐらいになり、

お昼前に起きられる様になっていくのです。

 

しかも、少しずつテレビも見るようになったり、

夫の周りの真っ黒なオーラもだんだんと薄くなっていきました。

 

ようやく、明るい光が見えてきた感じでした。

 

そして、午前中に起きられるようになってきたら、今度は外出です。

 

まあ、そんな風にしてちょっとずつ、

ちょっとずつ普通の生活に戻していくんです。

 

そして、外出が問題なくなるとようやく、

仕事へ復帰というのも考えられるようになってくるのです。

 

その間、1年近く。

 

ここまでが本当に長かった。

もちろん終わりじゃないですよ。

 

夫がラッキーだったのは勤め先の会社が、

きちんと産業医のアドバイスをうけ、

復帰は医者の言うとおりにゆっくりで良い、

と言ってくれたことでした。

 

ここまで治ってきたらあと一歩なんですが、

ここで復帰の方法を間違えると、また元の木阿弥です。

 

再発してしまう方の場合、職場の理解が得られず、

復帰=元のように完全に復帰することを最初から求められてしまう。

 

まだ、この時点で5割ぐらいしか治っていないのに

元のような就業状態に戻すと、確実に再発します。

そんなケースを、たくさん見聞きしました。

 

最初は職場に顔を出すだけ。

次に午前中だけ出社。

慣れてきたら午後3時ぐらいまで仕事。

 

それも慣れてきたらようやくフルで勤務。残業はなし。

それも慣れたら、いよいよ本格的に復帰です。

 

ただし、まだまだ薬を飲んでいます。

 

このようなプロセスを踏んで復帰することを許してくれた

会社に本当に感謝しています。

 

おかげで、途中ぶり返すこともなく、

何とか復帰することに成功しました。

 

うつ後の夫婦の関係

 

仕事に復帰できるようになっても、まだ薬を飲んでいました。

 

抗うつ剤は勝手にやめてしまうと、

一気に悪くなったり、しまいには治らなくなったりするそうです。

 

夫自身も治療をしてきて、

薬のおかげであることを十分承知していたので、

勝手にやめるようなことはしませんでした。

 

ただ、夫の場合、悪かったのがお酒です。

 

もともと、無類の酒好き。

 

私も独身の頃はかなり、酒豪でしたが、

それを上回る酒飲みでした。

 

だから、結婚しようと思ったんですけどね。

 

それが、あだとなったのです。

 

仕事に復帰すれば、付き合いで飲みにいかなければ

ならないこともあります。そこは自制が求められます。

 

どんなに飲みたくても、まだ抗うつ剤を飲んでいるのですから、

薬を飲みながら、酒を飲むって、いいわけないです。

 

抗うつ剤を飲みながら、お酒を飲むとどうなるのか。

 

どんなにお酒が強くても、簡単に酔っぱらってしまうのです。

 

夫はかつて、かなり飲めた、という自負があるので、

調子に乗って飲んでしまいます。

 

当然、少量で酔っぱらう。

 

電車で帰ってくるにも、電車の中で寝てしまって、

降りなきゃいけない自宅近くの最寄り駅で降りられず、通過。

 

そんなこと、何回も繰り返してる。

 

あまりにも帰りが遅く、心配する毎日でした。

 

何度やめてと言っても、「付き合いだから、しょうがない」の一言。

 

ほんと、この人自分の病気のこと、全然分かってない!

と腹立てていました。

 

夜中、ハッと目を覚ますと隣にいるはずの夫がいない。

 

まだ帰ってないのかと思いきや、帰ってはいるけど、

リビングで寝ていたり、風呂場で寝ていたり。

 

それをいちいち、起こして寝かせる。

それをやると、私が次の日眠くてしょうがない。

 

ある日は、帰ってきたら顔から血が出ていて、

眼鏡もなくなっていたことがあります。

 

おやじ狩りにでもあったんじゃないかと、

私は顔面蒼白になりました。

 

でも、どうしてそうなったのか記憶がないのです。

 

ウォーーーーー!

どこまで甘えてんだーーーー!!!

って怒鳴ってしまった事もあります。

 

とにかく、薬を飲みながら、

酒を飲むっていうのが信じられない。

 

ありえない。最低!

 

やめてと言っても聞かない。

 

あんな辛い思いをして、ようやく治ってきたのに。

 

バカか!

学習能力、低っ!!って、ぶち切れますよ。

 

仏さまだって「仏の顔も三度まで」っていうでしょ。

許されるのは三回までなんですよ。

 

何が大事なのか、全く分かってない!

もし、それで再発、なんてことになったら…!

 

そう思うと怒りがマックスになり、

とうとう夫と口を利かなくなりました。

 

そしてうつと診断されてから3年半、

ようやく薬を飲まなくてよくなりました。

 

「寛解」を迎えたのです。

 

うつの場合、「完治」とは言わず、

「完解」または「寛解」と言います。

 

とりあえず治ったような状態って事で、

完全に治りましたーっていうのはないらしい。

 

うつは再発率の高い病気です。

 

それなのに3年半で寛解を迎え、

その後も再発せずにいるのは本当に恵まれていたと思います。

 

私がしゃべらなくなっても、

夫はなぜこんなに私が怒っているのかわかっていないようでしたし、

その後も本当に治るまで相変わらず、

お酒を飲んでは酔っぱらうという事の繰り返しでした。

 

それは今まで、自分も家族も皆が辛い思いをしたんだ、ということを

無視した軽率な行為だったと思っています。

 

だから、寛解を迎えた時、

それまでのうっぷんをぶつけてやりました。

 

うつの人は病気だから、と言う事で周りの人から

気を遣われ、大事にされ治療をしています。

 

そしてそれを支える家族も同じぐらい、またはそれ以上

悲しくてつらい思いをしています。

 

ですが、支えている側の家族のケアはされていません。

 

私だって、一歩間違えば危なかったんだから。

 

そういうことを経て自分は治ってきたんだと言う事を

病気をした本人に気づいてほしかっただけです。

 

それをわかっていれば、

あんな軽率な行動はとれなかったはずです。

 

その思いやりのなさが悲しくて怒りに変わったんだと言う事を訴えました。

 

ようやく、なんとなく自分だけでなく周りもみんな大変だったんだと

気づいたようでしたが、

 

病気が治るまでにあった細かいことまでは言っていませんので、

夫は100%理解できていないと思います。

 

ただ、それ以降、うちの中で私の発言権が大きくなり、

力関係が逆転したおかげで

かなりやりたいようにさせてもらっています。

 

それが、夫の謝罪の表現なのかなと思うことにしています。

 

でも私の中で、病気の前の夫に抱いていた気持ちを取り戻すことは

残念ながらできません。

 

夫が病気になったことは不可抗力だったし、

家族として支えていくことも当然だとは思っていましたが、

あの思慮に欠けた行動が

今だに許せないのかもしれません。

 

現在、夫は普通に仕事ができるようになり、

生活も元のようにできるようになりました。

 

二人の子供の親として、夫婦と言うよりも「同志」、

または、よき理解者、という関係です。

 

今はこれでよかったのだと思っています。

 

とにかく、治ってよかった、その一言に尽きます。

 

うつの不安がある方や病気に対しての理解がさらに

進んで、苦しむ人たちが少しでも少なく、

楽になるといいなと思います。

 

この記事を書いたライターこっしーはこんな人!

 

<感情を動かす技術を学べるメルマガへの登録はこちら!>

サイト管理人都筑はこれを知って人生が変わった!
人の感情を動かす技術が学べるメルマガです^^

その他にも、心理学・脳科学・恋愛・健康法など生活の中で役に立つ知識を発信していきます!



会社を辞めて自由に生きる方法を教えます!


どうもサイト管理人のゆりです。

私は22歳の時に会社を辞めてから、
月収で100万ほど稼げるようになりました。

才能があったわけでも、
環境に恵まれたわけでもないです。

もともとすごく頭が悪かったし、
会社では仕事ができない人間で有名でした。

そんな私でも、ビジネスに出会って
少しのあいだだけ真剣に取り組んでみたら
あっさりと人生逆転できました。

私はビジネスを学ぶ過程で、
人を動かす方法や、
感情を動かす方法、
コンテンツを作って価値を届ける方法など、
学校では学べないことを勉強してきました。

その経験から
勉強して、挑戦して、成長すれば、
誰でも資産を手にして活躍できると思っています。

私は、自由で楽しく
自分のやりたいことをやれる人間が少しでも増えれば、
一人一人に活気が溢れて、
世の中の価値やサービスが進化して、
楽しい人生を送れる人が増えると本気で思っています。

人生の質を上げるお手伝いが出来たら嬉しいのです。

そういった理念から、
私がどのようにビジネスに取り組み、
ゼロから今の資産を築いていったのか、
その成功体験を一つのPDFにまとめてみました。

ストーリー形式で作っていて、
10分程度でサクッと読める内容なので、
もし興味があれば読んでみてください。

→「月収100万円を稼ぐビジネスモデル付き」人生逆転ストーリーを読んでみる


★メルマガ登録はこちら★








 


この記事を書いている人 - WRITER -
こっしー
こっしー 働く40代2人の子持ち主婦。ライターとしてはひよっこですが、フラワーアレンジメントは プロ級?です。(歴15年)今はガーデニングもやります♡
 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

  2015/11/03
スーパー方向音痴!頭が悪いんだと思っていたけれどその原因は「ADHD」だった?
  2015/10/15
糖質制限&加圧トレーニングでダイエット。3か月で10Kg減!
  2015/10/08
子育てを頑張るママたちへ。少し楽になる男の子の子育て法
  2015/10/02
初めてのライブ!ライブの持ち物を準備して最高の思い出を!
  2015/10/01
猫の空輸体験談フランスから日本へ!冷や汗と涙で綴る
  2015/09/27
PMS、PMDDに苦しむ人たち必見!対処法をご紹介
  2015/09/25
反抗期を迎えた子供の親必見!反抗する子供と反抗しない子供
  2015/09/13
虐待になる前に、助けを求めよう!子育てを頑張るママたちへ告ぐ
  2015/09/13
自分が鬱になるなんて・・・誰にでも潜む鬱の可能性
  2015/09/06
夫がうつと診断されたきっかけは仕事だった
  2015/09/06
コミュ障克服!いろんなものに興味を持とう!
  2015/08/30
吐きつわり?唾液つわり?と思ったら逆流性食堂炎だった話
  2015/07/31
仕事辞めたい・・・。うつになるほど辛かった営業職
  2015/07/20
【社会人の友達づくり】大人はどうやって友達をつくる?
  2015/07/16
病院選びは慎重に!出産の記憶は一生もの!
  2015/11/14
子供の子育て「守る」と「見守る」は違う!親の役目って?
  2015/11/11
うちに雀がやってきた!パート6~くうと家族編~
  2015/11/08
転校していじめられていた時に助けられた思い出<後編>
  2015/11/07
転校していじめられていた時に現れた私のヒーロー<前編>
 

Comment

  1. 梅井かおり より:

    はじめまして
    こっしーさん。

    記事を拝見させていただいて…今私の置かれている八方ふさがりな心境と全く同じ事が書いてあり、何度頷いたかわかりません。
    私は小学生の娘が1人いる3人家族の主婦で東京に住んでいます。
    年末のクリスマスの頃から
    真っ暗な出口の見えないトンネルの中にいて、途方に暮れています…。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© quality-of-lifestyle , 2015 All Rights Reserved.